父の逝去
家族親族、誰も間に合いませんでした。
いつもそばにいて普通だった人がいなくなるのは辛いものです。
どうか皆様、くれぐれもお体ご留意、ご自愛くださいませ。
義父の急逝
あまりにも突然でした。だれにもみとられず一人で逝ってしまいました。
亡くなる前日、夜11には元気でしたが、次の朝義母が気付いた時には冷たくなっていたそうです。
その時の母の驚きは想像を絶します。
11日は私は会社に来てリスケの書類や新しい事業の関係を吟味しようと思っていました。
義父は最近また食べられなくなっていると聞いていたので、妻と娘は実家に行って様子を見に行くことになっていました。
朝9時半頃だったか電話が鳴り妻が出て、「エーッ、・・・」
”どうした?!何があったーーっ!!”
「パパが、パパが死んじゃったーー」
・・・そこからは半狂乱。
2階で寝ている子供にものすごい声をかけ、私と妻は着の身着のまま先に出かけました。
実家に着くと警察の検視の最中で、終わるまでは誰も部屋の中には入れてくれません。
このような亡くなり方の場合、警察の検視と医師の検案があります。
義母と私が警察から説明を受けました。
結果は他殺等ではなく病死。死因は「心疾患の疑い」でした。
心不全、心筋梗塞などの特定はできず、死亡時刻も午前未明ということです。
本当に亡くなってました・・・。顔をさわったら冷たくて。。話しかけても答えないし。。
義父は昨年、食道癌が発覚しました。
癌細胞は缶ビールほどの大きさで、物を飲み込めず栄養失調になり、体力を奪われ、みるみる痩せ細り、もうだめかという状態の時もありましたが、奇跡的な回復を見せ、完治を願い、危険度が高いと言われる食道がんの手術も克服しました。
今年7月退院後は今まで十分すぎるほど働いた、もう休めと言うこと。
これからは趣味を作り、温泉旅行などゆっくり楽しめる時間が出来る。これからだというのに今回のことで残念でなりません。
お酒が好きでした。カラオケが好きでした。
息子が12月に二十歳になります。
二十歳になったら男同士3人で飲みに行こうと約束していましたが、それもかないませんでした。
最近では母に隠れて少しのんでるようでした。
堂々と飲まなかったのは、今まで長年心配や苦労をかけて来た母への感謝の念があったからだと思っています。
父が食道癌になったことで思ったのは、物が普通に食べられるということ、飲み込めるというなんでもないことが如何に幸せであるか。
今回の事は、人間いつ何があるか分からない。突然かけがえのない大切な人を失うこともある。
今日が最後だと分かっていたら人にも優しく出来るはず。
その気持ちを忘れずに日々生きろ。と言われた気がします。
友引の関係で通夜が13日、葬儀および告別式が14日でした。
妻は二人姉妹の長女で、妹は5歳の時発症した再生不良性貧血で21歳の時他界しました。
父は39年に起業依頼45年間働き詰めでした。
忙しい中数々の役をこなし、県の副理事長を務め、功績が認められ厚生労働大臣表彰されるような人だったので婿が欲しかったのですが、嫁に出してくれました。
喪主の義母に代わり遺族ならび親族を代表して私が挨拶しましたが、そのような立場ですから、亡くなった日の様々な手配やご会葬いただいた方々、親族の方の接待等あり本当に疲れました。
15日は朝から会社に来ましたが、抑え込んでいた疲れがどっと出たのかフラフラで、午前中は何とか耐えたのですがどうにも倒れそうだったので病院へ行き点滴を受けて来ました。
今日も朝起きるのがやっとでした。年ですね。
通夜の日、妻と娘は会場に泊まりましたが人数の関係で私と息子は自宅に帰って来ました。
着いて車から出ると空気の抜ける音。見るとビスが刺さっています。「あちゃー、パンクだ」
抜くと音は止まったのですが、これは明日早く起きてタイヤ換えなくちゃだな。。
疲れていたのかすっかり忘れて、本葬の日を迎えました。
思い出してタイヤを見るとペチャンコになっていません。
「走り出すと抜けるかもしれないけど、行こう」
途中一回コンビニで確認したのですが、その後すっかり忘れていました。
本葬のあと斎場にて集骨を終え、私はお骨を持ちバスで実家に向かったのですが、息子がそこでペチャンコになっていたタイヤに気付きました。
「じいちゃんがさあ、一生懸命空気抜けるのを抑えてくれたのかな。。で、斎場では”俺もう駄目。すべて終わった斎場ならいいよな”ってことだな・・・」
それにしてもこれから先どうしよう。年老いた義母だけをあのでかい家に一人はなあ。
家内は家族で引っ越すと言ってるが・・・。色々問題あってまた疲れそうです。
皆さま、くれぐれもお体ご留意、ご自愛ください。
義父の食道癌、担当医師の所見
記憶はあいまい、記録のために書す。
食道癌は進行性で、発見が遅れることが多い癌。
食道癌に比べれば胃がんや大腸がんは軽いと言えるほど厄介な癌だと言う。
元々発見が遅れる上に、かなり進行させてしまい癌組織を大きくしてしまった。
ガン肉腫という種類かもしれない。
食道は喉の奥から胃までの長さがあり、喉から22センチの所から真ん中にキノコ雲のような、ブロッコリーのような形で塞いでいる。
長さは114mm、直径60mmの癌組織。かなりでかい。
通常食道は30mmほどで閉じているが、350ccの缶ビールのような大きさの癌ゆえ
食道が押し広げられている状態。
この状態では固形物は入っては行き辛い。
結果栄養失調。体重10キロ減。なんで早く発見できなかったか。。
父は誰かが病気になっても優しい言葉や態度は示さない。
そのかわり自分がどんなに苦しくても弱音や苦しみを訴えない。それが災いしたであろう。
癌は大きさではなく、どのくらい深いかが問題だと言う。
CT、MRIを見ると心臓の左房に浸潤が見受けられる。
浸潤とは転移とは異なり、病巣が周囲の組織を徐々に侵し広がっていく状態。
心臓に浸潤がある場合、心臓を切ることは出来ないので手術は不可能。
転移については遠隔転移とリンパ節転移がある。
MRIには肺に結節が見受けられる。転移かもしれない。
転移の場合は食道癌の手術をしても意味がない。
また浸潤のこともあり、今の段階では手術が出来るか確定できない。
食道癌の手術は時間は9時間~10時間と長く、食道に隣接する心臓、大動脈、肺などの臓器があり、いじる場所が悪く危険。
手術死と言ったか、手術中に亡くなる確率というかデータは5%。
胃がんや大腸がんなどでは現在はほぼ0%。危険度が分かる。
治療としては手術、放射線、抗がん剤投与になると言う。
手術の場合、喉から胃までの食道を全摘出。
どうにするのか、胃を伸ばし喉で縫合すると言う。
放射線は30回照射。土日は抜かすので、一ヶ月半くらいだろう。
30回以上はしないと言う。何故ならそれ以上やると体が破壊されるらしい。
副作用が強いらしい。
私の叔父も肺がんを克服したが、相当きつかったと言っていた。
手術を選択するとしても抗がん剤は併用するとのこと。小さな転移はそれで叩けるだろう。
いずれにしてもどれを選ぶとしてもリスクは高いと言っていた先生の言葉が気にかかる。
本人や義母の前で、成功の確率や今後の生存率は聞けなかった。
同じ病院内に最先端の癌治療が始まるわけだと妻が聞いた。
重粒子線のこと。前に群大付属病院院長の石川先生の講演を聞いたことがある。
今回の担当医師は消化器外科の先生。外科の先生は切りたがるらしい。
抗がん剤の副作用としては脱毛、吐き気、倦怠感、腎臓。
特に増殖起点である脊髄がやられるらしい。癌細胞と似ているのだそうだ。
癌組織を破壊すると言うことは、同じ形式の脊髄が破壊されやすいと言うことになる。
結果、白血球の低下となり、ひどい場合無菌室に入ると言う。
最先端ではないが、先生もプロ。癌の状態、義父の状態等今の状況を総合して考えて
この方法で行きましょうということを言って欲しいが、今言わないのだそうだ。
なぜなら、訴訟が怖いため・・・・・なんだそりゃ。馬鹿が多いからなあ。。
来週もう一度家族が呼ばれることになる。
大丈夫、奇跡は起こる!!