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体臭対策 

これから夏に向かい気になるのが体臭。

体臭は自分で気付き辛いのが怖いです。

体臭が気になるのなら体臭対策をしなければなりませんね。

自分で出来る体臭対策があるようです。試してみたいものです。。

50を過ぎると結構来ますよ。気をつけたいものです。
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厄介なうつ病 

私の30年来の親友もどう見てもうつには見えません。
分からない人から見れば、「何甘ったれてんだ!!!」ということになります。
実際私も親友に言ってしまった事があるのです。

甥が二人うつ病で苦しんでいます。
兄は結婚していて子供もいるのに仕事に行けなかったり、弟は就職してしばらくして仕事を辞めてそれっきり。もう2年苦しんでいます。
 
他にも知り合いで2人いますが共通して言うのが「おちる」という言葉。

なかなか理解してもらえない「うつ」。なった人にしか分からない辛さ・・・・・。

本当に厄介な うつ病を克服しましょう。



だるい 

体がだるい。
掌が赤い。

肝臓が弱っているんだろう。痛みつけて来たもんな、ごめんね。。

蓄積されているように思える。

マカ、ミルク牡蠣、ハイチオールC,あと何だっけ味の素の・・・忘れた。

どれも効かない。飲むと余計にだるくなる気がする。

ウコンがいいというが、ウコンで肝臓をやられた人がいると聞いた。

とにかく一番は「酒を控えること」だ。しじみ習慣も効かなかった。

男性も女性も健康が一番!!!

父の逝去 

皆様にお心遣いいただきましたが、昨日早朝5時10分、父が他界いたしました。
 
 
亡くなる前日の土曜日の夕方、息子と病院へ行った時は、脈拍も正常、酸素PsO2の値も97とあったので安心していましたが、朝急変、一気に心臓が停止したそうです。
家族親族、誰も間に合いませんでした。
 
通常であれば今日が通夜、明日本葬ですが、今日は月曜の5・10日、その上この時期は学校関係の仕事が重なっており、とても無理と一日ずらしてもらいました。
 
昨日は通夜、葬儀に関する決めごとをした後は兄夫婦に任せ、妻と会社に来て仕事をこなし、明日は午前11時30分に親族集合ですが、それまでに仕事の段取りを終え、通夜、本葬に行って参りました。
 
 
人間はいつか死んでしまいます。残された者はそれを乗り越えて生きて行かねばなりません。
いつもそばにいて普通だった人がいなくなるのは辛いものです。
どうか皆様、くれぐれもお体ご留意、ご自愛くださいませ。


義父の急逝 

10月11日午前未明、自宅、自室にて急逝いたしました。享年71歳です。

あまりにも突然でした。だれにもみとられず一人で逝ってしまいました。

亡くなる前日、夜11には元気でしたが、次の朝義母が気付いた時には冷たくなっていたそうです。
その時の母の驚きは想像を絶します。

11日は私は会社に来てリスケの書類や新しい事業の関係を吟味しようと思っていました。
義父は最近また食べられなくなっていると聞いていたので、妻と娘は実家に行って様子を見に行くことになっていました。

朝9時半頃だったか電話が鳴り妻が出て、「エーッ、・・・」

”どうした?!何があったーーっ!!”

「パパが、パパが死んじゃったーー」

・・・そこからは半狂乱。
2階で寝ている子供にものすごい声をかけ、私と妻は着の身着のまま先に出かけました。


実家に着くと警察の検視の最中で、終わるまでは誰も部屋の中には入れてくれません。

このような亡くなり方の場合、警察の検視と医師の検案があります。

義母と私が警察から説明を受けました。

結果は他殺等ではなく病死。死因は「心疾患の疑い」でした。
心不全、心筋梗塞などの特定はできず、死亡時刻も午前未明ということです。

本当に亡くなってました・・・。顔をさわったら冷たくて。。話しかけても答えないし。。


義父は昨年、食道癌が発覚しました。
癌細胞は缶ビールほどの大きさで、物を飲み込めず栄養失調になり、体力を奪われ、みるみる痩せ細り、もうだめかという状態の時もありましたが、奇跡的な回復を見せ、完治を願い、危険度が高いと言われる食道がんの手術も克服しました。

今年7月退院後は今まで十分すぎるほど働いた、もう休めと言うこと。
これからは趣味を作り、温泉旅行などゆっくり楽しめる時間が出来る。これからだというのに今回のことで残念でなりません。

お酒が好きでした。カラオケが好きでした。

息子が12月に二十歳になります。
二十歳になったら男同士3人で飲みに行こうと約束していましたが、それもかないませんでした。

最近では母に隠れて少しのんでるようでした。
堂々と飲まなかったのは、今まで長年心配や苦労をかけて来た母への感謝の念があったからだと思っています。


父が食道癌になったことで思ったのは、物が普通に食べられるということ、飲み込めるというなんでもないことが如何に幸せであるか。
今回の事は、人間いつ何があるか分からない。突然かけがえのない大切な人を失うこともある。
今日が最後だと分かっていたら人にも優しく出来るはず。
その気持ちを忘れずに日々生きろ。と言われた気がします。


友引の関係で通夜が13日、葬儀および告別式が14日でした。

妻は二人姉妹の長女で、妹は5歳の時発症した再生不良性貧血で21歳の時他界しました。
父は39年に起業依頼45年間働き詰めでした。
忙しい中数々の役をこなし、県の副理事長を務め、功績が認められ厚生労働大臣表彰されるような人だったので婿が欲しかったのですが、嫁に出してくれました。

喪主の義母に代わり遺族ならび親族を代表して私が挨拶しましたが、そのような立場ですから、亡くなった日の様々な手配やご会葬いただいた方々、親族の方の接待等あり本当に疲れました。

15日は朝から会社に来ましたが、抑え込んでいた疲れがどっと出たのかフラフラで、午前中は何とか耐えたのですがどうにも倒れそうだったので病院へ行き点滴を受けて来ました。
今日も朝起きるのがやっとでした。年ですね。

通夜の日、妻と娘は会場に泊まりましたが人数の関係で私と息子は自宅に帰って来ました。
着いて車から出ると空気の抜ける音。見るとビスが刺さっています。「あちゃー、パンクだ」
抜くと音は止まったのですが、これは明日早く起きてタイヤ換えなくちゃだな。。

疲れていたのかすっかり忘れて、本葬の日を迎えました。
思い出してタイヤを見るとペチャンコになっていません。

「走り出すと抜けるかもしれないけど、行こう」

途中一回コンビニで確認したのですが、その後すっかり忘れていました。

本葬のあと斎場にて集骨を終え、私はお骨を持ちバスで実家に向かったのですが、息子がそこでペチャンコになっていたタイヤに気付きました。
「じいちゃんがさあ、一生懸命空気抜けるのを抑えてくれたのかな。。で、斎場では”俺もう駄目。すべて終わった斎場ならいいよな”ってことだな・・・」

それにしてもこれから先どうしよう。年老いた義母だけをあのでかい家に一人はなあ。
家内は家族で引っ越すと言ってるが・・・。色々問題あってまた疲れそうです。

皆さま、くれぐれもお体ご留意、ご自愛ください。



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